みなさん、こんばんは。満月の日の夕方におおくりするお話、実は13回目の今回で、最終回となります。
蟲話はもともと、庚申講や庚申堂にまつわるいろんなお話をご披露したいな、と思って、一年間限定で始めた読み物でした。
満月の日の夜ごとの配信としたので、約29.5日の周期となり、一年で全13話をおおくりしてきました。
月の満ち欠けを配信のリズムにするというのは、ちょっとした思いつきではじめたことですが、なかなか楽しい体験でした。
仕事の帰りに夜道を歩きながら、日々満ちていく月を眺めつつ、次の話の構成を頭の中で膨らませたりしました。
最終回の今夜は、その月にちなんで、ウサギになぞらえたお話です。
蟲話13 「庚申ミームの白ウサギ、夢をみる」
◆ ミーム
「ミーム(meme)」という言葉を、ご存知でしょうか。
リチャード・ドーキンスという生物学者の造語で、
「文化が『変異』『遺伝(伝達)』し『選択(淘汰)』 される様子を進化になぞらえたとき、 遺伝子に相当する仮想の主体」(Wikipedia より)
のことです。
ようは人から人へと伝わっていく文化を、
ウィルスみたいな生き物のようにとらえた考え方で、
都市伝説もファッションもイデオロギーも宗教も、
みんなミームの一種です。
もちろん、ぼくらのやっている庚申講も、
なかなか息の長い、立派なミームといえます。
◆ ミームの白ウサギ
ぼくはこの、ミームという概念に触れるたびに、
因幡の白ウサギの話を思い浮かべます。
だってほら、白ウサギがワニ(サメ)の頭を
ぴょんぴょん跳んで島に渡ったように、
ミームも人々の頭を次々と伝わって広がっていきますよね。
ミーム論では、人間の存在はミーム自身の成長の
道具としての乗り物にすぎない、と考えます。
つまり、ミームは自分の目的のために人間を利用する、
ずる賢い白ウサギなわけです。
◆ 庚申ミームの白ウサギ
因幡の白ウサギは物語の中で、
うまく沖の島に渡れたまではよかったものの、
利用されたことに激怒したワニ(サメ)たちに、
毛皮を剥がれてしまいます。
庚申講というミームも、
一時は全国に広まって大流行しましたが、
明治維新以降の合理化、西洋化の流れの中で
ナンセンスな俗信とされ、ほぼ死に絶えてしまいました。
しかし2001年、まず我々東京庚申堂が、今世紀初の
本格庚申講実践団体として産声をあげます。
続いて日本三庚申のひとつとされている
八坂庚申堂さんも講を復興させ、続けておられるし、
また昨年には研究者戸渡さんが日本庚申研究会を発足、
庚申研究にもあらたな展開が期待できそうです。
一度は丸裸にされた庚申講も、毛皮とまではいかなくても、
なんとか産毛ぐらいは生えてきてるかな、と思っています。
◆ 庚申ミームの白ウサギ、夢をみる
皮を剥がれた白ウサギは大国主神に治療法を教わり、
元どおりふさふさの毛皮を取り戻します。
黄色い蒲の花粉の上に寝そべって、
また毛が生えてくるのを待ちながら、
白ウサギは何を思ったでしょうか。
そんなことをときどき考えながら、
ぼくは庚申講を続けているのです。
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一年間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
なお、庚申堂の活動告知等は、今までどおり配信していきます。引き続き、よろしくお願いいたします。
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