第九回 2004.11.27 配信



サルの手が長いのは、きっとあなたと握手したいから。






蟲話09 「サルが()ぐもの」


◆ 庚申講とサル

庚申講には、いろんなところで「サル」が出てきます。 そもそも、庚申の「申」も「サル」ですし、 庚申塔や掛け軸には、「見ざる聞かざる言わざる」の いわゆる三「猿」が多く見られます。 さらに、神道系の庚申の神様は「猿」田彦大神。 手を換え品を換え、いろんな形で「サル」尽くしです。

そこで今回、「サル」を中心に庚申講をみてみました。 すると、興味深い「サル」つながりが浮かんできました。


◆ 山王権現とサル

庚申信仰自体は特定の本尊を持たず、歴史的に いろんな神さまが入れ替わってその座に着いた、 ということは、これまでの蟲話でも記したとおりです。 庚申講が日本に伝わって間もない室町時代には、主に 山王権現という神仏の融和した本尊が信仰されていました。

この山王権現というのはもちろん、 庚申講のためにつくられた神さまではありません。 ではなぜ、数多ある神さまたちのなかから、 山王権現が選ばれたのか。

じつはその神使(文字通り、神の使い。 お稲荷さんにおける狐みたいなもの)が、 「サル」だったのです。 庚「申」と山王権現がつなげられた大きな理由は、 ここにあったと考えられます。


◆ 青面金剛とサル

さて、時は下って江戸時代。 このころには山王権現の人気は衰え、 かわりに青面金剛という仏教の神さまが、 本尊として幅をきかせていきます。 神さまにも流行りすたりがあるのですね。

しかし、そこにもまた「サル」の姿が。 面白いことに、この政権交代が起こったあとも 「サル」は、そのまま神使として受け継がれてました。 主人は倒れても、家来のほうは生き残っている。 「サル」も案外、したたかです。


◆ 三猿で人気キャラクターに

ということで、江戸時代を中心として、 庚申塔や庚申の掛け軸に、「サル」がよく描かれました。 その多くにみられるのが、見ざる聞かざる言わざるの三猿。

この三猿は、またルーツの違うものなのですが、 三尸(人間の体内にいる三匹の蟲)の話や 「悪事を神さまに告げられないように」という目的と、 なんだかイメージが近いために、 モチーフとして採用されたのでしょう。 庚申といえば三猿というふうに、広く民間に浸透しました。


◆ 猿田彦とサル

そんな流れの中で、後れを取っていたのが神道系の宗派です。 これだけ巷で流行っている庚申講を、布教に活かさず、 ただ指をくわえて見ていてよいものか。

そこで神道由来の庚申講、というものがつくられ、 そのとき祀り上げられたのが「猿」田彦でした。 猿田彦は当時人気の神さまでしたし、「サル」つながりもある。 ということで、この人選、いや神選はぴったりだったのです。


◆ サルつながり

ということで、まとめると、

   庚「申」講   →   山王権現の「サル」(神使)
                     →   青面金剛に「サル」引継ぎ
                       →   三「猿」(見ざる聞かざる言わざる)
                         →   「猿」田彦大神

という大きな「サル」連鎖ができるわけです。

手足の長い「サル」たちが、庚申をモチーフにして いろんな時代や宗派をつないでいる。 そう考えると、「サル」って案外すごいかも。
ううむ。 サル、あなどりがたし。




今日はもちろん、満月なのですけれど、 正確に言うと今夜ではなく、今朝の5時過ぎが月齢15でした。

月について書かれた本は数多く出版されていますが、 先月出たばかりの「月で遊ぶ」(中野純・著 アスペクト) は、とくにお薦め。しちめんどくさい薀蓄本とは 一線を画す内容で、ひととおり知識のある月ファンにも、 月をいまいちど、新鮮に感じさせてくれます。
次の満月は、一二月二七日です。







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