こんばんは。
満月の日の夕方配信される東京庚申堂の読み物、
五回目の今日も、庚申講のゆるさのおはなし。
そもそも、"正しい"庚申講ってどんなふうなんでしょうか。
蟲話05 「庚申だもの・下」
◆ 現在
東京庚申堂って、民俗行事の復興なんて云ってるけれど、
いつも楽しそうに遊んでるばかりで、
じつは単なる夜遊びサークルなんじゃないか、
って指摘を、よくうけます。
たしかに江戸時代の庚申講、特に仏教系のそれを調べると
この時間には真言を唱えるとか、何回どの方向にお辞儀するとか、
ここで歯をカチカチ20回ならすとか
いろいろ細かい決まりごとが時間割で指定されてたりします。
また、昼間ですが現在まで庚申講を行われている
山王日枝神社さんのところでも、
お祓いをし祝詞を唱え玉串を捧げ、と
一通りの儀式がきちんと決まっていました。
ひるがえってぼくらのやっていることはと見てみると
積み木を倒さないでどんどん上に積んでいく
「ジェンガ」というゲームに興じたり、
ボーリングやって合計1000点取ったらアガリ、
という過酷なルールの遊び「千点ボゥル」を夜通しやったり、
生きたスッポンを解体してその場で鍋にして食らったり。
なんかいまひとつ、やってることが重みに欠けます。
これではまったく夜遊びサークルの謗りをまぬがれない。
◆ 過去
よし、それじゃあここはひとつ、原点にかえって
そもそもの庚申講とやらを学んでまねしてみよう。
そう思って、もともとの発祥である平安時代の
庚申講について調べてみました。
すると、、、
元来庚申待は一夜を謹愼して明かすのが本格であるべきを、
實際は無聊を慰めるために、酒宴を催し、歌舞音曲を奏して
遊び更かし、庚申待とは全く口實であつて實際は遊樂のために
費す一夜に過ぎぬものであつた。
「庚申待と庚申塔」 三輪善之助・著
古今著聞集の巻六には、村上天皇の天暦(九五三)十月十三日の
御遊のときに、女蔵人が菊の花のひわり子を奉り、大納言高明卿が
琵琶をひき、朱雀院のめのとや備前の命婦が簾中で琴をひいたと
かいてある。(中略)なお、その記事につづいて、「昔はかやうな
御遊、常のことなりけり、おもしろかりけることかな」とかいて
あるから、以前には庚申の日ごとに必ずこのような御遊が宮中で
もよおされていたことと想像される。そうして宮廷貴族たちは
庚申の日の御遊を心から楽しんでいたのであった。
「庚申信仰」 窪 徳忠・著
…なんだ。いいんじゃんそれで。
そうなんです。
もともとなんの宗教的儀式もなく行われていた庚申講は、
天皇と一緒に酒を飲んでうたったり踊ったり、
碁やすごろくであそんだりのお楽しみ「御遊」だったのでした。
それから仏教や神道に組み入れられて、宗教色がついたあとも、
やはり「お楽しみ」として庚申講を行う地域も少なくなく、
たとえば落語に「庚申待」という演目があるのですが、
ここでは集まった人々が、
「神様の前なんだからまじめな話をしなきゃなんねぇ」
なんていいながら、いつもオチのついたシャレ話にもっていく、
というホラ吹き大会が夜通し行われます。
◆ 未来
てなことで、決めました。
東京庚申堂はどんどん、好き勝手に庚申講を楽しみます。
「でもなんの意味もなく遊ぶのだったらやっぱり
夜遊びサークルじゃないか」とお思いのあなた。
違うんです。
今まで隠していましたが、庚申堂のコンテンツには、
実は深い意味合いがあるんです。
「ジェンガ」は高く伸び、長く生きたい、という願いの具現ですし、
「千点ボゥル」には、千歳まで生きられますように、という願いが、
スッポン鍋には、亀みたく万年生きられますように、という願いが、
人知れずこめられていたのですよ。じつは!
え?どうにもこじつけっぽいって?
遊んだあとに、むりやり思いついたんだろうって?
かたいことは云わないの。
信じるものはすくわれる、のです。
ゆるくたってぬるくたっていいじゃないか。
だってそれこそが、庚申なんだもの。
■
今日は日曜日。
天気もよさそうなので、いまから浴衣でも着て
団扇片手に夕涼み、なんていかがでしょうか。
まんまるな月が、あなたを迎えてくれますよ。
次の満月は、八月三十日です。
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