第五回 2004.08.01 配信



こんばんは。
満月の日の夕方配信される東京庚申堂の読み物、 五回目の今日も、庚申講のゆるさのおはなし。 そもそも、"正しい"庚申講ってどんなふうなんでしょうか。





蟲話05 「庚申だもの・下」


◆ 現在

東京庚申堂って、民俗行事の復興なんて云ってるけれど、 いつも楽しそうに遊んでるばかりで、 じつは単なる夜遊びサークルなんじゃないか、 って指摘を、よくうけます。

たしかに江戸時代の庚申講、特に仏教系のそれを調べると この時間には真言を唱えるとか、何回どの方向にお辞儀するとか、 ここで歯をカチカチ20回ならすとか いろいろ細かい決まりごとが時間割で指定されてたりします。

また、昼間ですが現在まで庚申講を行われている 山王日枝神社さんのところでも、 お祓いをし祝詞を唱え玉串を捧げ、と 一通りの儀式がきちんと決まっていました。

ひるがえってぼくらのやっていることはと見てみると 積み木を倒さないでどんどん上に積んでいく 「ジェンガ」というゲームに興じたり、 ボーリングやって合計1000点取ったらアガリ、 という過酷なルールの遊び「千点ボゥル」を夜通しやったり、 生きたスッポンを解体してその場で鍋にして食らったり。

なんかいまひとつ、やってることが重みに欠けます。 これではまったく夜遊びサークルの謗りをまぬがれない。


◆ 過去

よし、それじゃあここはひとつ、原点にかえって そもそもの庚申講とやらを学んでまねしてみよう。 そう思って、もともとの発祥である平安時代の 庚申講について調べてみました。 すると、、、

元来庚申待は一夜を謹愼して明かすのが本格であるべきを、 實際は無聊を慰めるために、酒宴を催し、歌舞音曲を奏して 遊び更かし、庚申待とは全く口實であつて實際は遊樂のために 費す一夜に過ぎぬものであつた。
                    「庚申待と庚申塔」 三輪善之助・著

古今著聞集の巻六には、村上天皇の天暦(九五三)十月十三日の 御遊のときに、女蔵人が菊の花のひわり子を奉り、大納言高明卿が 琵琶をひき、朱雀院のめのとや備前の命婦が簾中で琴をひいたと かいてある。(中略)なお、その記事につづいて、「昔はかやうな 御遊、常のことなりけり、おもしろかりけることかな」とかいて あるから、以前には庚申の日ごとに必ずこのような御遊が宮中で もよおされていたことと想像される。そうして宮廷貴族たちは 庚申の日の御遊を心から楽しんでいたのであった。
                    「庚申信仰」 窪 徳忠・著


…なんだ。いいんじゃんそれで。
そうなんです。 もともとなんの宗教的儀式もなく行われていた庚申講は、 天皇と一緒に酒を飲んでうたったり踊ったり、 碁やすごろくであそんだりのお楽しみ「御遊」だったのでした。

それから仏教や神道に組み入れられて、宗教色がついたあとも、 やはり「お楽しみ」として庚申講を行う地域も少なくなく、 たとえば落語に「庚申待」という演目があるのですが、 ここでは集まった人々が、
「神様の前なんだからまじめな話をしなきゃなんねぇ」
なんていいながら、いつもオチのついたシャレ話にもっていく、 というホラ吹き大会が夜通し行われます。


◆ 未来

てなことで、決めました。 東京庚申堂はどんどん、好き勝手に庚申講を楽しみます。
「でもなんの意味もなく遊ぶのだったらやっぱり  夜遊びサークルじゃないか」とお思いのあなた。 違うんです。
今まで隠していましたが、庚申堂のコンテンツには、 実は深い意味合いがあるんです。

「ジェンガ」は高く伸び、長く生きたい、という願いの具現ですし、
「千点ボゥル」には、千歳まで生きられますように、という願いが、
スッポン鍋には、亀みたく万年生きられますように、という願いが、
人知れずこめられていたのですよ。じつは!

え?どうにもこじつけっぽいって? 遊んだあとに、むりやり思いついたんだろうって? かたいことは云わないの。 信じるものはすくわれる、のです。

ゆるくたってぬるくたっていいじゃないか。 だってそれこそが、庚申なんだもの。




今日は日曜日。 天気もよさそうなので、いまから浴衣でも着て 団扇片手に夕涼み、なんていかがでしょうか。 まんまるな月が、あなたを迎えてくれますよ。
次の満月は、八月三十日です。







このページのトップへ
←前へ 蟲話アーカイヴ 次へ→
Home

Copyright © 2001- Tokyo-Koshindo.All rights reserved.