結黨に寄せて

黨首 (海洋生物學者)



  生きるためには食はねばならぬ
  食ふとはこれ、他の生物の死を意味する

  美しい日本語の一つである「いただきます」といふ言葉は本来「命をいただきます」といふ意味である事を知る日本人は少ない。
  ほとんどの食材は、元々生命が宿つてゐたものであり、我々の生は夥しい數の生命の上に成り立つてゐる。この事に普段氣付いてゐる人も少ないのではないか? しかるに近年、「マクド◎△×」なるハンバーガー屋に代表される米帝のジャンクフード産業が、世界人民總肥満化計劃の名のもとに安易なる食材を大量に埀れ流し、 世界中の「食」を蔑ろにし、「食」から「生命」を連想する事がますます困難になり始めてゐる。更に、この國は巧みな情報操作により日々の情報から死の匂ひを完全に消し去り、殘虐な殺人行爲を起こす人々の量産に成功した。 このやうな状況にあり、我々は「大日本鼈黨」を立ち上げるはこびとなつた。
  牛肉や豚肉を食べた事がある人はゐても、ウシやブタが肉となるために屠殺される現場を見た事のある人は少なからう。ウシやブタの生と死を知らずして、どんな高級肉を味わおうとも、それは事物の表面をかすめただけに等しい。 日常生活に於いて、パックされた切り身や冷凍保存された、生命の香りが遠い食材に慣れ過ぎた我々には、生きたまま首を切られ、鮮血を流し、身體をバラバラにされ、死にゆく「鼈」の姿は強烈である。首だけになつても庖丁に噛みつく様は、飼ひ殺されてしまつた家畜にはない凄みを見せてくれる。 鼈鍋には、膀胱と膽嚢を除く全ての内臟、両手両足、尻尾、甲羅、生首等が無造作に放り込まれ、そこに小宇宙が廣がる。 頭にしやぶりつき目玉と腦味噌を啜る、足周りの肉をしやぶり指の骨を出す、甲羅の周りのゼラチン質の皮にかぶりつく、どこのものかわからない内臟の塊を頬張る…。最初はあまりのグロテスクさに戸惑いつつも氣がつけば夢中になつて味わつてゐることだらう。知らなかつた自分の野生の部分に氣付き、驚き、龜の仲間を食べるといふ非日常的な行爲に昂奮するに違ひない。 鍋の締めにをぢやを作り始める頃、一匹の鼈は小骨の集合としてお椀に殘り、身は、我々の體内で力を放ち始める。一匹の鼈の生と死から眼をそらさず、しつかりと受け止めたあなたは、自信に満ちあふれ、上氣してゐることだらう。
  鼈は、鼈としての生をそこで終へるが、我々の體内で分解され、再合成され、我々の身體の一部となり、供に生き續ける。 連綿たる生命の繋がりを司る基本は食にある。全ての生命はかうして循環する。食とは、本来、もつと有り難い行爲なのである。

  「大日本鼈黨」は、お肌プルプルになりたいあなたを應援します!

押忍。

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