ミーム
「ミーム(meme)」という言葉を、ご存知でしょうか。リチャード・ドーキンスという生物学者の造語で、
「文化が『変異』『遺伝(伝達)』し『選択(淘汰)』される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体」(Wikipedia より)
のことです。
ようは人から人へと伝わっていく文化を、ウィルスみたいな生き物のようにとらえた考え方で、都市伝説もファッションもイデオロギーも宗教も、みんなミームの一種です。もちろん、ぼくらのやっている庚申講も、なかなか息の長い、立派なミームといえます。
ミームの白ウサギ
ぼくはこの、ミームという概念に触れるたびに、因幡の白ウサギの話を思い浮かべます。だってほら、白ウサギがワニ(サメ)の頭をぴょんぴょん跳んで島に渡ったように、ミームも人々の頭を次々と伝わって広がっていきますよね。
ミーム論では、人間の存在はミーム自身の成長の道具としての乗り物にすぎない、と考えます。つまり、ミームは自分の目的のために人間を利用する、ずる賢い白ウサギなわけです。
庚申ミームの白ウサギ
因幡の白ウサギは物語の中で、うまく沖の島に渡れたまではよかったものの、利用されたことに激怒したワニ(サメ)たちに、毛皮を剥がれてしまいます。
庚申講というミームも、一時は全国に広まって大流行しましたが、明治維新以降の合理化、西洋化の流れの中でナンセンスな俗信とされ、ほぼ死に絶えてしまいました。
しかし2001年、まず我々東京庚申堂が、今世紀初の本格庚申講実践団体として産声をあげます。続いて日本三庚申のひとつとされている八坂庚申堂さんも講を復興させ、続けておられるし、また昨年には研究者戸渡さんが日本庚申研究会を発足、庚申研究にもあらたな展開が期待できそうです。一度は丸裸にされた庚申講も、毛皮とまではいかなくても、なんとか産毛ぐらいは生えてきてるかな、と思っています。
庚申ミームの白ウサギ、夢をみる
皮を剥がれた白ウサギは大国主神に治療法を教わり、元どおりふさふさの毛皮を取り戻します。黄色い蒲の花粉の上に寝そべって、また毛が生えてくるのを待ちながら、白ウサギは何を思ったでしょうか。
そんなことをときどき考えながら、ぼくは庚申講を続けているのです。