庚申講とサル
庚申講には、いろんなところで「サル」が出てきます。そもそも、庚申の「申」も「サル」ですし、庚申塔や掛け軸には、「見ざる聞かざる言わざる」のいわゆる三「猿」が多く見られます。さらに、神道系の庚申の神様は「猿」田彦大神。手を換え品を換え、いろんな形で「サル」尽くしです。
そこで今回、「サル」を中心に庚申講をみてみました。すると、興味深い「サル」つながりが浮かんできました。
山王権現とサル
庚申信仰自体は特定の本尊を持たず、歴史的にいろんな神さまが入れ替わってその座に着いた、ということは、これまでの蟲話でも記したとおりです。庚申講が日本に伝わって間もない室町時代には、主に山王権現という神仏の融和した本尊が信仰されていました。
この山王権現というのはもちろん、庚申講のためにつくられた神さまではありません。ではなぜ、数多ある神さまたちのなかから、山王権現が選ばれたのか。
じつはその神使(文字通り、神の使い。お稲荷さんにおける狐みたいなもの)が、「サル」だったのです。庚「申」と山王権現がつなげられた大きな理由は、ここにあったと考えられます。
青面金剛とサル
さて、時は下って江戸時代。このころには山王権現の人気は衰え、かわりに青面金剛という仏教の神さまが、本尊として幅をきかせていきます。神さまにも流行りすたりがあるのですね。
しかし、そこにもまた「サル」の姿が。面白いことに、この政権交代が起こったあとも「サル」は、そのまま神使として受け継がれてました。主人は倒れても、家来のほうは生き残っている。「サル」も案外、したたかです。
三猿で人気キャラクターに
ということで、江戸時代を中心として、庚申塔や庚申の掛け軸に、「サル」がよく描かれました。その多くにみられるのが、見ざる聞かざる言わざるの三猿。
この三猿は、またルーツの違うものなのですが、三尸(人間の体内にいる三匹の蟲)の話や「悪事を神さまに告げられないように」という目的と、なんだかイメージが近いために、モチーフとして採用されたのでしょう。庚申といえば三猿というふうに、広く民間に浸透しました。
猿田彦とサル
そんな流れの中で、後れを取っていたのが神道系の宗派です。これだけ巷で流行っている庚申講を、布教に活かさず、ただ指をくわえて見ていてよいものか。
そこで神道由来の庚申講、というものがつくられ、そのとき祀り上げられたのが「猿」田彦でした。猿田彦は当時人気の神さまでしたし、「サル」つながりもある。ということで、この人選、いや神選はぴったりだったのです。
サルつながり
ということで、まとめると、
庚「申」講 → 山王権現の「サル」(神使)→ 青面金剛に「サル」引継ぎ → 三「猿」(見ざる聞かざる言わざる)→「猿」田彦大神
という大きな「サル」連鎖ができるわけです。
手足の長い「サル」たちが、庚申をモチーフにしていろんな時代や宗派をつないでいる。そう考えると、「サル」って案外すごいかも。
ううむ。サル、あなどりがたし。