戸渡さんと朝、出会う
その日ぼくはお堂で飲んだくれて朝7時に床につき、玄関の呼び鈴に起こされたのは朝の10時でした。
こんな朝から友人が来るはずもなく、今日は宅配便が届く予定もない。起きぬけの作務衣姿のままドアを開けると、そこには灰色のスーツを着た40代ぐらいの、背筋のぴんと伸びた男性が立っていました。
セールス?近所からの苦情?ひょっとして警察?まだ覚醒しきれない頭でいろいろ考えるぼくに、「東京庚申堂はこちらでしょうか」と、その男性は静かに尋ねました。「私、庚申講について研究をしている者です。ぜひとも堂守様にお話を伺いたく参上しました」それが戸渡俊康さんとの出会いでした。
戸渡さんと異常に盛り上がる
なにやらわけがわからないながらも、とにかくぼくは彼を本堂に通し、おもてなし用の中国茶を淹れました。
彼は福岡県に住む会社員であること、庚申講関連の資料や史跡をもとめて、全国を渡り歩いていることなどを話してくれました。今回は、福岡からうちに来るために、わざわざ東京に出張を入れたようです。
中国茶を飲みながら、訊かれるままに応え、こちらからもいろいろ尋ねるうち、ぼくはかつてないほど会話がはずんでいることに気がつきました。
通常、ぼくが庚申講について話すときは、ほとんどがぼくから相手への説明になります。しかし、戸渡さんは違いました。打てば響く。もっと深い知識と洞察が返ってくる。
以前より、庚申講関連の資料をあさってもネットを探しても現在研究が進められている様子はなく、研究者などもうほとんどいないのではないかと思っていたのですが、訊いてみるとやはりそのとおりらしく、先達の研究者はすでに亡くなっているか高齢で、現在まともに研究されている方はおそらく五人といないでしょう、と戸渡さんは云いました。
つまりその朝、本堂では日本で五人ほどにしかわからない、しかし本人たちにとっては幸せな、おそろしく密度の濃い対談が行なわれていたわけです。
お茶を飲みながらの、それはそれは素敵な土曜の朝、ぼくらはすっかり打ち解けあいました。
戸渡さん、次なる訪問へ
あっという間に昼ごろになり、戸渡さんは辞去を申し出られました。「そろそろおいとまします。次に行きたいところがありますので」どこかの庚申塔にでも?「いえ、窪先生のご自宅です」窪先生ってまさか、庚申研究の祖である窪徳忠先生?「そうですよ。現在は引っ越されて、横浜にご在住のようです」しかし、まだご存命だったのですか。「ええ、もう90歳を超えておられると思います」お会いされたことは?「いえ、初めてです」やはり、アポはとってないんですか。「ええ、アポはとっていません。とにかく行ってみます」
アポなしで、"神"のもとへ。ぼくは一見落ち着いた紳士の印象を受ける戸渡さんの飽くなき好奇心と行動力に舌を巻きつつ、先生によろしくお伝えいただくようお願いしました。「東京庚申堂のご活動をご紹介しておきます」と背筋を伸ばしたまま、戸渡さんは云い残していきました。
そしてぼくは夢をみる
戸渡さんとは、その後も親しくお付き合いさせていただき、民俗学的な相談にいろいろのってもらったり、また京都の八坂庚申堂の二十四年ぶりのご開帳のときには一緒に世紀の瞬間に立ち会ったりしました。
そして最近、戸渡さんは「日本庚申研究会」なる組織を立ちあげ、さらなる研究にいそしんでおられます。研究組織がないのなら、自分が作ってやろう。戸渡さんの静かな気概が感じられ、今後の活動が期待されます。
戸渡さんのほかにも、八坂庚申堂、伏見庚申堂のご住職や、山王日枝神社の宮司さん、また「南総里見八犬伝」に出てくる庚申信仰を研究されている栃木の学校の先生など、さまざまな人とお近づきになれました。庚申堂をやってなければ、決して知り合えなかっただろうことを思うと、なんだか不思議な気持ちになりますが、しかし悪くない気分です。
今後はもっともっといろんな方と結びつき、いつの日か、民間、民俗学、宗教など各界から庚申講関係者が集う全国的な「庚申サミット」が開けたらいいな。もちろん窪先生にもお越し願って、他人がまぎれこんでもちっとも面白くない、とことんマニアックで贅沢な空間が実現したら楽しいだろうな、と、ぼくは夢をみているのです。メンバーかき集めてもきっと、10人に満たないでしょうけれどね。