H氏からの依頼
ある春の日、「名古屋で造園業を営む」というH氏から、一通の依頼のメールが送られてきました。なんでも会社の庭から突然、「猿田彦大神」と刻まれた石碑が出てきたが、これが何なのか、どうしたらいいのかさっぱりわからず困っている、とのこと。どうやらネットで「庚申」などを検索していて東京庚申堂がひっかかり、うちに相談されたようです。
石碑の内容
依頼のメールによると、その石碑には次のような文字が入っていました。
猿田彦大神
庚申山 大宮(あるいは宝)比大神
明治20年6月吉 木林惟一
神田東福田町16番地
山口 文吉 妻 てる
長男 兼吉
次男 吉次郎
三男 久次
なるほどなるほど。ここからいろんな推理が成り立ちます。
まず、この石碑は庚申塔、つまり庚申信仰による祈願のために建てられた塔だといえます。猿田彦というのは神道系の庚申信仰の代表的な神様ですし、庚申山は栃木にある2000m弱の山で、庚申講の信仰対象の一つです。
また、「大宮(あるいは宝)比大神」とあるのはおそらく「おおみやひめのおおかみ」のことでしょう。この神様は市場の神様とされているので、この塔は庚申信仰を受け継ぐ山口さん一家が商売繁盛を祈念して建てたものなのかもしれません。
でも、わかったのはここまででした。「木林惟一」というのは誰?「神田東福田町」っていったいどこ?
助っ人戸渡さんの知恵
こういうときは、福岡に住む庚申研究家戸渡さんの出番です。メールで相談すると、戸渡さんはすぐさま、いくつかのアドバイスを返してくれました。
まず、木林惟一というのは、庚申山の道を開いた修験者だとのことでした。
それと、神田東福田町というのはおそらく、東京府神田区神田東福田町のことだろう、ということも教わりました。なんと、東京の神田のことだったとは。これも当時の大日本帝国陸地測量部が作った地図があれば、だいたいの位置がわかるそうです。
資料渉猟、現地調査
木林惟一なる修験者について調べていくと、50年ほど前まで庚申山のふもとに、猿田彦神社があったことがわかりました。残念ながら今はなくなっていましたが、今回の庚申塔はおそらく、ここを拠点とする信仰から生まれたものだろうと推測できます。
さらにぼくは都立図書館に行き、明治20年当時の神田区の地図のコピーをとってきました。このコピーに、同縮尺の現在の千代田区周辺の地図を重ね合わせてみれば、現在の番地がわかるはずです。
これはやってみるとそれほど簡単ではない作業でした。当たり前ながら100年以上前の地理は、現在とはずいぶん異なっていて、小さな川はほとんどが地下に入り、道もかなり整理されています。いろいろ試行錯誤して、大きな川と橋、神社などを目印に、なんとか地図を重ね合わせることができました。
よし。明治20年の神田東福田町16番地は、現在の千代田区岩本町1丁目13番地あたりだ!ここまできたら、行ってみるしかありません。ぼくはいそいそと現場におもむきました。すると!!
…予想どおりというか、そこには高層マンションとオフィスビルが立ち並んでいました。まあ、千代田区だもんなぁ。あたりまえか。
少しがっかりしつつも、近くにある神社に行ってみると、そこの「改築世話役」として山口某という名が古い石塔に刻まれていました。明治20年の山口家も、庚申塔を建てるぐらいだからわりと有力者だったはずで、だとすればこの山口某も関連のある人物なのかもしれません。
庚申塔、故郷へ
などといろいろ調べ、H氏の先祖をたどると東京に住んでいたことなどもわかったりしたのですが、結局元の持ち主に行き着くことはできませんでした。
さて、問題はその庚申塔をどうするか、です。当初はH氏より、東京庚申堂に寄贈したいとの要望もありましたが、庚申塔とはようするに大きな岩であり、なかなか空間的に難しいし、そもそも庚申山系の庚申講とうちとは直接のつながりはありません。
そんななか折りよく、庚申山にある猿田彦神社跡地を管理している、中村さんという宮司がみつかったので、その方に頼んで保管してもらうことでまとまりました。
ということで、明治時代の東京で造られ、現代の名古屋で発見された庚申塔は、めぐりめぐって、ぶじに庚申山信仰発祥の地におさまることになりました。
これにて、一件落着。