現在
東京庚申堂って、民俗行事の復興なんて云ってるけれど、いつも楽しそうに遊んでるばかりで、じつは単なる夜遊びサークルなんじゃないか、って指摘を、よくうけます。
たしかに江戸時代の庚申講、特に仏教系のそれを調べるとこの時間には真言を唱えるとか、何回どの方向にお辞儀するとか、ここで歯をカチカチ20回ならすとかいろいろ細かい決まりごとが時間割で指定されてたりします。
また、昼間ですが現在まで庚申講を行われている山王日枝神社さんのところでも、お祓いをし祝詞を唱え玉串を捧げ、と一通りの儀式がきちんと決まっていました。
ひるがえってぼくらのやっていることはと見てみると積み木を倒さないでどんどん上に積んでいく「ジェンガ」というゲームに興じたり、ボーリングやって合計1000点取ったらアガリ、という過酷なルールの遊び「千点ボゥル」を夜通しやったり、生きたスッポンを解体してその場で鍋にして食らったり。
なんかいまひとつ、やってることが重みに欠けます。これではまったく夜遊びサークルの謗りをまぬがれない。
過去
よし、それじゃあここはひとつ、原点にかえってそもそもの庚申講とやらを学んでまねしてみよう。そう思って、もともとの発祥である平安時代の庚申講について調べてみました。すると、、、
元来庚申待は一夜を謹愼して明かすのが本格であるべきを、實際は無聊を慰めるために、酒宴を催し、歌舞音曲を奏して遊び更かし、庚申待とは全く口實であつて實際は遊樂のために費す一夜に過ぎぬものであつた。
「庚申待と庚申塔」 三輪善之助・著
古今著聞集の巻六には、村上天皇の天暦(九五三)十月十三日の御遊のときに、女蔵人が菊の花のひわり子を奉り、大納言高明卿が琵琶をひき、朱雀院のめのとや備前の命婦が簾中で琴をひいたとかいてある。(中略)なお、その記事につづいて、「昔はかやうな御遊、常のことなりけり、おもしろかりけることかな」とかいてあるから、以前には庚申の日ごとに必ずこのような御遊が宮中でもよおされていたことと想像される。そうして宮廷貴族たちは庚申の日の御遊を心から楽しんでいたのであった。
「庚申信仰」 窪 徳忠・著
…なんだ。いいんじゃんそれで。
そうなんです。もともとなんの宗教的儀式もなく行われていた庚申講は、天皇と一緒に酒を飲んでうたったり踊ったり、碁やすごろくであそんだりのお楽しみ「御遊」だったのでした。
それから仏教や神道に組み入れられて、宗教色がついたあとも、やはり「お楽しみ」として庚申講を行う地域も少なくなく、たとえば落語に「庚申待」という演目があるのですが、ここでは集まった人々が、「神様の前なんだからまじめな話をしなきゃなんねぇ」なんていいながら、いつもオチのついたシャレ話にもっていく、というホラ吹き大会が夜通し行われます。
未来
てなことで、決めました。東京庚申堂はどんどん、好き勝手に庚申講を楽しみます。
「でもなんの意味もなく遊ぶのだったらやっぱり夜遊びサークルじゃないか」とお思いのあなた。違うんです。今まで隠していましたが、庚申堂のコンテンツには、実は深い意味合いがあるんです。
「ジェンガ」は高く伸び、長く生きたい、という願いの具現ですし、「千点ボゥル」には、千歳まで生きられますように、という願いが、スッポン鍋には、亀みたく万年生きられますように、という願いが、人知れずこめられていたのですよ。じつは!
え?どうにもこじつけっぽいって?遊んだあとに、むりやり思いついたんだろうって?かたいことは云わないの。信じるものはすくわれる、のです。
ゆるくたってぬるくたっていいじゃないか。だってそれこそが、庚申なんだもの。